阿高×苑上
・「滴る雫」

 空を引き裂くように、稲光が閃いた。
 天から雨粒が滝のように降ってくる。
 ――思い出すのは、阿高が黒い龍へと姿を変え、皇太子[ひつぎのみこ]に巣食う呪いが白い龍となって、共に天へ翔け去っていったあの日。
 脳裏に浮かんだ情景に、苑上の身体は思わずすくんだ。
 どうか戻ってきてと悲痛に叫んだ自分の声が、どこからか聞こえてきそうな気がした。

「何してる、鈴!」

 耳にぶつけられた声に、苑上ははっと我に返った。
「ぼやぼやするな!走れ」
 ぐいっと腕が引かれた。そのまま引きずられるようにして走る。
 歩幅が違う相手に腕を捕まれて走るのは難しかった。
 足はいまにももつれそうだったけれど、腕の主は苑上の足にあわせてはくれそうにない。
「ま、待って!」
息も絶え絶えな中、なんとかそう言っては見たが、あと少しだから我慢しろと言われただけだった。
 結局、苑上は雨宿りできそうな大きなうろのある木に辿りつくまで腕を強く握られたままで、解放されなかった。



「鈴がぼやぼやしていたから、大分濡れたぞ」
 彼女の目に入るように、彼は着物の袖を少しあげてみせた。
 柔らかく明るい色の髪も、すっかり濡れそぼって額に毛が張り付いている。
 苑上のほうも似たようなものだ。
 彼よりか数枚重ねる衣が多い分、吸った水の量も多いのだろう。このままでは風邪を引きそうだった。
「暫くは上がりそうに無いな。鈴の足がもう少し速ければ、家にまで辿り付けたかもしれないが」
「わたくしは、あなたみたいには走れないもの」
「箱入りだったからな。でも、これからは鈴はもう少し走る練習をした方がいい。鈴はもう輿に乗って移動するような身の上じゃなくなるんだ。あれくらい、さっと走れなければ何かあったとき困るだろう」
「・・・・・・そうね」
 もう、宮の中で守られるだけの姫ではなくなったのだ。
 籠の鳥ではなくなった代わり、自分で何もかもできるようにならなくてはならない。
 もし病を得ても、お抱えの薬師を呼ぶこともできない。
「いっそおれが抱えて運べばよかったかもしれないな」
「わたくしを盗み出した時みたいに?」
「そうだ。鈴を攫った時の様に。・・・・・・鈴がもう少し早く走れるようになるまでは」
「頑張ってもう少し早く走れるようになります」
「そうしてくれ」
 そうだ、彼のお荷物にはなりたくない。
 彼についていきたいといったのは苑上の意思なのだから。
「ええ」
 頷いた苑上に、阿高は期待していると頷き返した。


「・・・・・・ところで、鈴。おまえはどうしてあんな所で立ち止まったんだ」
 ふと、阿高が軽く微笑んでいた頬を引き締めて、苑上に尋ねてきた。
 つられるように苑上もはっと唇を引き結んで真顔になる。
 ごくりと唾を飲み込んだ音が妙に大きく聞こえた気がした。
「それは・・・・・・」
 阿高が天へ消えてしまったあの時を思い出したから。
 そういっていいものか、迷ってるうちに彼――阿高が苑上の身体を引き寄せた。
「あの・・・」
「おまえが立ち止まったあの時、どこかへいってしまいそうに見えた」
 ぐっと阿高の腕が彼女の身体に回された。
 お互い濡れた衣が張り付いているのだから酷く冷たいはずなのに、触れ合ったところから熱が伝わってきた気がした。
「阿高こそ・・・。あの稲妻を見て、思い出したの。あの日のことを。それで足がすくんでしまった。あの時、阿高に置いていかれて、もう戻らないかもしれないと思った。もう一度会いたいと、戻ってきて欲しいと願ったけれど、無理だとも思っていたの。また阿高がわたくしを置いて、戻ってこなくなったらどうしようと・・・」
「鈴。・・・・・・おれはここにいる。おまえをおいて、どこにもいかない」
 宥める様に、阿高が苑上の背中を軽く叩いた。
「何を心配しているんだ。あの勾玉の力ももうないんだぞ」
「そう・・・そうね」
 そうだ、あの勾玉はもう無に還ってしまった。
 皇[すめらぎ]の暗く澱んだものとともに相殺しあって、きれいさっぱりなくなってしまったのだ。
 もう阿高は只人にすぎないのだった。
 今の阿高にあるのは別の力だ――彼の腕に宿るのは、荒ぶる御魂を鎮める力ではなく、もっと別の・・・・・・

「ねぇ、阿高」
「なんだ?」
「もっと強く抱きしめてくれる?」
「ああ」
 背中を叩いていた阿高の手が背中に回され、彼の胸に頭を押し付けられるように強く抱きしめられた。
 少し痛いくらいなのに、苑上は幸福感を感じた。

 ――そう、今の彼の腕に宿る力は苑上を安心させるというものだった。どんな者にもう宿っている力。ただし、これほど苑上を安らがせる場所は他には無いだろう。
 阿高を失ったと思ったあの日の空虚を、少し埋められた気がした。 

「おまえを置いてはいかないよ。もし、どこかに行く時は一緒にいこう。同じものをみよう、鈴」
「ええ、阿高」
 どちらともなく二人は顔を寄せ合い、口付けを交わした。


 いつの間にか、雨は止んでいた。


Webclap

あとがき
阿高×苑上。
薄紅天女が実は勾玉三部作で一番好きです。
ヒロインも阿高の不器用さも愛してます。
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