「あれ、柴崎も明日休みなんだ!?」
壁掛けのカレンダーを見ていた郁が、驚いたような声を出した。
柴崎は丁度その時、携帯のカタログを広げて見ていた。候補検討の段階に入っていたのだが、思いも寄らぬ郁の大声につられて顔を上げる。
「笠原ァー、アンタ煩い」
わずかに眉を寄せて、柴崎は郁に苦情を申し出る。オプションで耳に指を突っ込むジェスチャーをつけてやった。
時計の針は、間もなく深夜になることを示していた。
もう夜遅い時間。寮暮らしは、つまるところたくさんの人が集まった場での共同生活だ
夜は昼よりも音には特に気を使わなければならない。
周りが静かだから、昼よりも音が響くのだ。
寮は決して防音環境がいい訳ではなかったから、尚更である。大声騒音など厳禁中の厳禁だ。寮監などから警告が来る前に、自発的に取り締まらねば、後で罰則を食らう可能性もあった。余りに酷いと更に同室の人間まで揃って (一蓮托生という奴だ) 罰則を食らう羽目になることもあるから、他人の顔をするわけにもいかなかった。
「ごめーん!」
「気をつけてよねー。もう寝てる奴もいるんだし」
早いものはもう寝に行っている。特に戦闘職のものは体を使う分、睡眠でよく体を休めておかなければ倒れてしまうからだ。
「――ところで、笠原。あんた今なんて言ったの?」
柴崎はほかの事に気を取られていたので(何せ、どの携帯がいいのか脳内でスペックを比べていたのだ)郁の言葉をよく聞いていなかった。
首を軽く傾げて訊けば、郁はもう一度言葉を繰り返した。
「柴崎も明日休みなんだねって!」
先ほど注意されたことを守ってか、今度は声を大分抑えたようである。寧ろ抑えすぎだった。
――極端すぎるのよ、アンタは。
馬鹿正直というか、なんというか。
抑えすぎて少し聞き取りにくいくらいだったが、根性でなんとかいくつかの単語を聞き取った。
加えて、郁はカレンダーに記入済みの公休の文字を指差しているから、それでなんとか意味は取れそうだ。
柴崎も休みだとか、そういうことを言ったのだろう。
「休みよ? それがどうかした?」
するとまた、声を潜めて話しかけてくる。内緒話のようだったが、それにしては距離がありすぎた。じれったくなって、
「話しにくいからこっち着なさいよ」
手招きして呼べば、素直に郁は従った。
お隣お邪魔しますー。
そんなことを言いながら、柴崎の隣に座った。
アンタはキャバクラのねーちゃんか!
思わず脳内で郁がいらっしゃいませぇ〜とシナを作って接客している様子を想像して、余りの似合わなさに噴出してしまった。
すると郁が、何で笑うの!と膨れ面をする。
けれども、何を想像したのかなんていえない。なんでもないとかわす。
「で、なによー?」
そうして、話を元に戻すことでごまかした。
そんな分かりやすい話の逸らし方だったのに、郁はあっさりごまかされたようだった。
「あ、そうそう」
ぽん、と手を打つ。
「休みが同じ日だからって、特に何かあるわけじゃないけどさー。休みが被るの久しぶりだなァって」
あっさりごまかされるのが可愛いところよね。
そう思ったとは言わぬが花だろう。口に出したら、郁は憤慨するに違いない。
内心でそう思うにとどめて、柴崎は郁の言葉に相槌を打った。
「そういえばそうね。あんた達当麻先生の一件で後処理大変だったし。休みもろくろくとれなかったでしょ」
そういう柴崎も人のことはいえない。
お互い多忙すぎて、柴崎と郁は同じ部屋で暮らしているはずなのに、最近まで顔を合わせてゆっくりと会話することも難しかったくらいだ。
――前にゆっくり話したのはいつだったかしら?
少し前のことのはずなのに、まるで遠い過去のようだった。
原発危機で著名な作家当麻蔵人(とうまくらと)。
その彼を台風の目に、世間を巻き込む一大センセーショナルとなる事件が起きたのは記憶に新しい。本当につい最近のことで忘れられるはずもない。
あの事件は、図書隊と良化隊の関係が変わる一つの大きな転機になった。
特に中心となって動いた図書隊特殊隊の、一番の功労者といっていいのは目の前の郁だった。勿論未来企画と共闘したことも大きいが、この郁とその上官がいなければ今の結果はおそらくなかっただろう。
柴崎は直接の功労者ではなかったが、その件には一枚かんだ当事者のひとりだった為、事後処理に長いこと駆けずり回った。
外部への情報漏洩を警戒して(何しろ、郁達原則派と対立する行政派は内部にいるのである)、事情を全て把握しているのはほんの一握りの僅かな人員だけで、柴崎もその一握りに含まれていたのだから仕方ない。
情報部の顔も覗かせる柴崎だから、むしろ率先して事態の把握および収集にあたったくらいだが、郁と同様に休みを取る暇などあるわけなく、くたくたの体に鞭打って無理やり働いていた気がする。
明日は、郁も柴崎も久しぶりにとれた公休だった。
"当麻先生の一件で大変だったものね"
柴崎のその言葉は純粋に言葉どおりの意味で言ったつもりだったが、ある意味この娘らしい返事がかえってくる。
「大変つーか、堂上教官も怪我したしっ」
「あんたも見舞いで忙しかったしィー?」
まあ、あんたなら図書館全体を揺るがす出来事よりも、そっちのほうが大事件でしょうとも。
からかうように口元を引き上げてそう言ってやれば、すぐさま郁から反論の声があがった。
「見舞いだけじゃなくて! その班長が休んだその分の仕事とかもあたしらに回ってくるしっ!」
見舞いだけじゃなくて。顔を赤らめながらそうぽろっとこぼしたことが、柴崎の言葉を肯定するものだということを郁は気づいていない。
「つまり見舞いに忙しかったのは否定しないワケね」
にやにや笑いながら指摘してやれば、真っ赤に染まった郁の頬の熱はさらにあがったようだ。
あら、可愛くなっちゃってまあ。
「堂上教官と仲良くね」
ごちそうさま。そう言ってやると、適当な言葉がでないらしく口をぱくぱくしている。
「あーっ、えっと、その……柴崎も休み同じことわかってたらどっか一緒に遊びに行けたのにね!」
漸く、金魚みたいにぱくぱくしていた口から言葉をだしたかと思えば、大層早口にまくしたてるようなもので、しかも話題を無理やり変えようとしているのがバレバレだ。
郁と違って、柴崎はそんなミエミエの話の逸らし方ではごまかされない。
だいたい明日は漸く恋を叶えた堂上と復帰祝い兼仕切直しのデートだときいている。そこに柴崎との予定を滑り込ませる時間はないだろう。
堪えきれず吹き出したら、「覚えてろ」と低い声で郁がつぶやいたのが聞こえた。
「覚えてろ、ね。ハイハイ、楽しみにしてるわね、復讐」
ま、あんたなんかにされるつもりもないけど。そう続けてだめ押しに
「明日のデートの相談のるのやめてもいいならね」と付け加えた。
明日は何を着て行けばいいと思う?!
悲鳴のような声で尋ねられて、
「わかった後で相談にのってあげるから安心しなさい」
とそう答えたのはつい先ほどだった。
言を翻すには早すぎるが使えるものは使うのが柴崎の信条だ。
「あーっ!! ズルイっ!!」
「ズルくありませーん。当然のことをいってるだけよ」
本日も軽く圧勝。口で彼女に勝つには10年早い。
小さく笑って柴崎はカタログを閉じた。
そのままカタログを抱えて、立ち上がった。
「ごめん、ちょっと出てくるわ」
「こんな時間に外〜?」
もうじき消灯だ。
「まさか! 共有部分に行ってくるだけよ。飲み物買いに行ってくるわ。喉乾いちゃった」
ひらひらと手を振って、柴崎は部屋をあとにした。
――特殊隊で同じ班の者は休みも基本的に同じだ。休みは班毎のローテーションになっているからである。
つまり郁と同じ隊の人間も、お休みということで――だから、アイツも休みなんだということは、郁が公休のマークをカレンダーに書き込んだ日からわかっていた。
* * *
「決まったのか?」
共有スペースに行くと、すぐさま声がかけられた。手塚だ。
いきなり前置きもなしの言葉だったが、予め約束をしていた柴崎は驚かない。
「候補は絞ったわ。あとは実物を見てみないとね。やっぱりボタンの押しやすさとか握りやすさは本物じゃないとわからないし。できれば、ホットモックを弄れる所だと尚いいわね」
二人の話は携帯のことだ。
ホットモックとは実際に動かすことのできる携帯のモックアップ(模型)のことだ。通常の携帯と同じように、電源を入れることからカメラの撮影、音楽の視聴など基本的な操作は一通りできるようになっている。もっとも、セキュリティがかけられていて電話やメールの送受信はできない。ただ、携帯の操作感を確かめるにはそれで十分である。
あの当麻蔵人の一件で変わる事になったのは何も図書隊と良化隊との関係だけではない。手塚に預けていた柴崎の携帯の状態も大きく変わった。それも悪い方向へ。つまるところ手塚が彼女の携帯を大雨でオシャカにしたのである。
明日のお休みがかちあったのがわかると、柴崎は早速新しい携帯を手塚に弁償させる約束をとりつけた。
そろそろ機種も旧型に分類されつつあったし、買い替え時かと思っていたから、時期はちょうどいい。下手な金より貴重なデータのことさえなければ、柴崎も携帯の機種が変わる事に文句はなかった。
ただ、手元にある手書きのアドレス帳と一部のバックアップが手元にあるとはいえ、そのままでは使えない。
新しく携帯を買って貰ったら、データも罰として手塚に入力させることになっている。
しぶしぶながらも自分が悪いのをわかっているのだろう。手塚もデータ入力補佐業務について、「わかった」とすぐに了承はした。もちろん、不平を一つ二つ付け加えはしたが。
肝心の、データの入れ物になる携帯のほうは手塚にまかせきりというわけにはいかなかった。
何しろ、使うのは柴崎である。その上、携帯電話は毎期事に新作が出ていて、ラインナップが多岐にわたる。闇雲に探しても効率が悪いと、予め柴崎のほうでいくつかピックアップすることにして、それを見に行く約束になっていた。
柴崎は女子寮、手塚は男子寮の住人だから、今現在携帯のない(柴崎はまだ携帯を返していなかった)手塚と連絡をとるのは難しい。
だから、明日の予定を具体的に煮詰める為にこの時間にここに来るように呼び出していたのだ。
「実機が触れるとなると、少し大きいところじゃないと無理だろ」
「でしょうね」
「立川に出るとして、あるか?」
「あるんじゃない?なかったら、適当に見てもいいし、足を伸ばしてもいいし」
「まぁ、お前に任せた。お前の使う携帯だからな」
「あんたが壊したワケだしね」
「あれは仕方ないことだろ!・・・・・・業務上の過失だし」
「わかってるわよ。だから、アドレスデータ打ち込みと携帯の弁償だけで勘弁してやってるじゃない」
「まて、もし故意だったらどうなってたんだっ!?」
「・・・・・・知りたい?」
「・・・・・・やっぱりいい」
「賢明ね」
「ってお前、まさか外道なこと考えていたのか!?」
「さあ、どうでしょうねー?」
ふふん、と笑う柴崎に、手塚が本気で顔をひきつらせた。
「――さて、そんな冗談はさておき」
「冗談なのか?」
柴崎はその言葉には応えず、一方的に明日の待ち合わせ場所と時間を宣言した。
「明日一○ : ○○に立川ね」
図書隊らしくヒトマルマルマルと発音して、
「約束に遅れたら、なんか奢ってもらうわよ」と締めくくった。
先ほどの言葉が冗談なのか否か。
答える気はないと態度で示した柴崎に、がっくりと手塚が肩を落とした。
「ヒトマルマルマルに立川。了解」
うな垂れた様子の手塚に柴崎は笑う。
「明日楽しみにしているわ」
――いろんな意味でね。
まんざら嘘でもない一言を残して、自販機で適当な飲み物を購入すると、柴崎は郁の待つ部屋に戻った。
* * *
あくる日は快晴で、どこかに出かけるには最適だったが、しかし他にもそう考える人も多いだろう。平日とはいえ、それなりに混みそうだった。
だからこそ、人が増える前にと、寄り道もせず真っ先にショップに向かったのだが、そこで懸案だった携帯の候補は簡単に絞られてしまい、あっさりと用件は済んでしまった。
機種変更手続きに一時間ほどかかるということで、どこかで時間をつぶさなければならない。
「どうする?」
まだ昼を食べるにも早い時間だ。
「早めに昼飯食いに言ってもいいけど、そんなに腹もすいてないだろ?」
「あたし、もっと時間かかると思ってたから、お昼遅くても大丈夫なように朝結構しっかり食べてきちゃったのよね」
「俺もそうだ。それじゃどこかブラブラしていくか?」
「どこかねぇ」
この二人でどこかに、というのもなかなか難しかった。
お互いに相手を意識している――けれど、つきあっているわけではない二人。これも、デートではない。そんな意識が邪魔をして、下手な場所に相手を連れて行くこともできない。
「あんた、どっかいきたいところある?」
「俺は特にないけど」
「あたしも・・・・・」
特にないかな、そう言い掛けてふと思いつく。
「ごめん、ちょっと付き合って欲しいところがあるんだけど、いい?」
「いいけど、どこだ?」
「――眼鏡屋」
「お前、眼鏡なんてかけるのか?」
「部屋だとね」
普段はコンタクトだ。
外では基本的にかけない。自室でくつろぐ時くらいにしかかけたことはなかった。
美人は何でも似合うのよ。
そう嘯くこともあるけれど、やっぱり眼鏡姿を晒すのはなんとなく嫌だった。完全武装に隙ができる気がする。
コンタクトをして、化粧もばっちり濃すぎず薄すぎず。完全無欠の柴崎さんはそうやって生まれるのだ。
でも、手塚なら――コイツになら、見せてもいいかなとそう思ったのは、ちょっとした気の迷いだということにしておく。
「新作出たらしいから、チェックしておきたいのよ。いい?」
「いいけど、新作って、今の眼鏡はもう度が合わないのか?」
「違うけどー?気分によって日替わりでデザイン変えたりすんの。男子は余りしない?」
「さあ?俺、目は悪くないし」
「そりゃそうか。あんた目はいいもんね。でも、素通しの一つくらい買ったら? 囮の時に文学青年装うにはいいわよ?」
丁度、郁や手塚くらいの年頃が囮を装うのに重宝されるのは事実である。背格好も丁度いい。実際に何度か借り出されてもいる。
特殊隊の中にはクマか!と言いたくなる様なむさ苦しいナリの人間もいたりするが、そうした人間は囮役としては不適当だ。
郁を始めとした堂上班の面々は図書館利用者として溶け込みやすいので、囮役としていいように使われやすい。
「変装」の道具もいくつかあったほうがいいに決まっていた。
それに――思いつきの言葉だったが、口にしてみて本当に手塚の眼鏡姿に興味が沸いた。
コイツが眼鏡をかけるとどんな感じだろう?
どんな眼鏡が似合うかしら?
想像だけじゃなくて、できれば実際にかけてみて欲しくなる。自然と誘う言葉に熱が入った。
「どう?」
八割がた本気でかけた誘いの言葉に、ちょっと迷うように首を傾げた後手塚が頷いた。
「・・・・・・お前が見立ててくれるっていうのなら考えてもいい。俺、どういうのがいいのかわからないし」
「任せなさーい。センス抜群の柴崎さんが、あんたに似合う奴選んであげるから」
「自分でいうか、それをっ」
「嘘はつけない性格でー」
「それこそ嘘つけ!!」
「嘘なんてついてないわよ〜?」
ふふん、と笑うと手塚は疑わしげな眼差しを投げかけてきた。
――本当に。手塚相手だと装う必要がないから、限りなく素に近い。勿論全てをさらけ出すことはしない。
けれども、郁を除いてここまで素に近い自分を晒している相手は、多分手塚だけだろう。
そういえば、男と一緒に連れたって、何か身につけるものを選んであげるのは初めての経験だということに気づいた。
付き合った男は何人かいたが、不思議とそういった機会はなかったのだ。
――悪くないかも。
手塚本人には言わない感想を胸にしまう。
「あたしだって不必要な嘘はつかないわよ。必要なことを言わないときは結構あるけどね?」
柴崎はにっこりと笑った。
「あんたに似合う奴を選んであげるってのも嘘じゃないから安心なさい」
――だって、あたしが見たいんだもの。あんたが似合う眼鏡かけたところ。
やっぱり本人に向かって言うつもりのない感想を、柴崎は口の中で小さく呟いた。