短編
おかあさんと一緒

 思えば物心ついた時から、この名前にはずっと苦労させられたものです。
 かわいい名前だとは思うし、名前単体としてなら気に入っているのですけれど。
 ただ、もう少し、苗字と名前のバランスというものを考えて欲しかったと思うのは、妙な名前をつけられた子供の共通の認識ではないでしょうか。
 苗字なんて結婚すれば変わるじゃない、なんて一言ですませた母に言いたい言葉があります。
 ――結婚するまで女子でも最低16年はかかることに気づいてください。
 しかも、今のご時世、平均的な結婚年齢は年々あがっていくばかり。16どころか30でも結婚できているかわからないんですよ。
 そして、父にも言いたいことがあります。
 面白いし覚えやすいからいいかの一言ですませないで、母を止めてください!

 ここまで言えば、大体の事情は察していただけるでしょう。
 そう、私の名前は非常にからわかれやすい名前なのです。
 名前と苗字が織り成す絶妙のハーモニーは、幼い頃の私に大打撃を与えてくれました。
 蝶よ花よと持て囃されてもおかしくないご幼少のみぎり。
 名前という自分の力では変えようがないものにより、暗黒時代へと姿を変えました。
 
 とはいえ、成長するにしたがって、私は開き直ったのですが…。
 そう、いいネタ、と笑い飛ばせるくらいには。


 でも、ちょっと。


 好きな相手くらいには、その名前で呼んでもらいたくなかったです。


「おかあさーーーーん!」


 声変わりをとっくに済ませた低い声が私を呼んでいます。
 私は、未婚、妊娠経験なし、当然出産経験もなし、養子縁組もしたこともありません。
 もっと言えば私は15歳で、まだ中学生です。
 けれども、私には『息子』が一人いるんです。
 うっかり行き倒れの男子高生なんて拾うものじゃありません。


 + + +


 ある雨の日、道端で空腹の余り行き倒れていた男子高校生を、私は拾ってしまったのです。
 犬や猫はすでに経験済みでしたが、さすがに男子高校生を拾ったのは初めてでした。当然です。そんなことが頻繁にあっては困ってしまいます。
 行き倒れていた彼をとりあえずうんとこしょ、と自宅まで引きずり上げると、私は介抱してあげました。
 母の代わりに毎日タイムサービスに突撃して、重い荷物を抱えて家に帰ることで鍛え上げられた私の上腕二頭筋が役に立ちました。
 日頃の訓練は怠るものではないということでしょうか。
 その上、自宅がすぐ目の前、2mもないところでした。
 自分より大きなお兄さんといえど、それくらいの距離ならなんとか運べます。
 もう仕組まれていたのか、というほどのシュチュエーションでした。
 これで拾わなかったら、私はまるで鬼か悪魔でしょう。

 そんな私は、とりあえず家に運びこんでソファーに寝かせたお兄さんが朦朧としながら「腹減った・・・」と呟き、盛大にお腹を鳴らすにいたって、当然のようにご飯を作ってあげました。
 私の父親は単身赴任中、母も遅くまで働いているキャリアウーマンです。
 最近は、一緒に誰かとご飯を食べる機会というのは、お友達と一緒に食べるお昼時くらいしかありませんでした。
 自分が作ったご飯をモリモリと食べてくれる様を見るのは気持ちがいいものです。
 ご飯を平らげて、その上イイ笑顔で「ご馳走様、美味しかったです」と手を合わせられたら感激するってものでしょう。
 勿論私は感激しました。
 一人でご飯を食べるというのは味気ないものです。
 それが今は二人で、しかもよく見ると男前なお兄さんが「美味しかった」と自分の作ったご飯を褒めてくれるのです。
 あれだけ大漁に食べてもらうと、その言葉も飾りでないとわかります。
「いえ、お粗末さまでした」
 舞い上がった私はどぎまぎとそう答えるしかできませんでした。
 二人顔をあわせてにっこりと笑います。

 満足げにお腹を撫でるお兄さんが、はた、と動きを止めて、
「ところで俺は何で君とご飯食べてるんだろう」
 そう言い出すまでは、大変和やかな空気が流れておりました。
 そういえば、目の前のお兄さんは見知らぬお兄さんです。
 つまり、お兄さんにとって私は見知らぬ人間なのでした。


「あ、えーと」
 私は言葉に詰まりました。
 行き倒れていたと素直に告げていいものでしょうか。この飽食の時代、人の家の目の前で行き倒れるからには、さぞかし深いドラマがあることでしょう。
 それを思い出させてしまってよいものか。
 しかし、だからといって私が見知らぬお兄さんを引っ張り込んだ痴女と勘違いされるのも困ります。
 怪しい人間じゃありません、というと本当に怪しい人間みたいですし、どうしたものでしょう。
 私の困惑している様子を悟ったのか、お兄さんから口を開きました。
「ひょっとして、俺、空腹の余り君を脅してご飯作らせたとか!?」
「いえ、そんな事実は一切ありません。行き倒れていただけです!」
 つい話の流れで答えてしまいました。
 ああ、お兄さんは深刻なドラマを思い出して苦悩に打ちひしがれないといいのですが。

 ――幸いにして私の心配は杞憂に終ったようでした。
「あ、そうなのか。君が俺を拾ってくれたの?」
 あっさりと事実を受け止めてくれて、私はほっと胸をなでおろしました。
「ええ、目の前で行き倒れていらしたので」
「なるほど。よく見知らぬ男を引っ張りあげる気になったね?」
 そう言われるまで私は、重大な事実に気づきませんでした。
 そうです、未婚の女子が男性を二人きりになる家に上げるなんて、世間様が許しません。
 自分を痴女と勘違いされやしないかと心配する前に、犯罪に巻き込まれないか心配するべきでした。
「しまった!」
 私は今更叫びました。
 その有様が余程おかしかったのでしょう。
 お兄さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、それから噴出しました。
「面白い」
 そんなこと言葉にされなくても、態度で分かります。
「別に馬鹿にしたわけじゃないけど。君は命の恩人だし。そんな相手に悪さしようとも考えていないよ」
 随分と大げさです。命の恩人だなんて。
 そりゃあ。人間食べなければ死にますけれど。


 お兄さんは日比野さんと仰るそうです。
 ここは私も名乗るべきでしょうか。
 苗字は家の前の表札を見ればわかるでしょうし、我が家には同じ苗字の人間が(今は在宅しておりませんが)複数名おります。
 私はフルネームで名乗ることにしました。
 思えばこのときの行動がよくなかったのでしょう。後で何度も反省しました。
 丁度タイミングよく、郵便物が机の上にありましたので、差し出したのです。
一緒に漢字も教えようと思ってのことでした。
 字を目にするほうがわかりやすいはずですから、私は至極当然のように自分の名前が印字されている印刷物を彼に見せようと思ったのです。住所などの個人情報は、現在ここにいる彼にとっては別にきかなくても分かることですから今更隠しても意味はないでしょう。
「苗字は丘です。名前は亜細亜の亜に、数字の三とかいて・・・」
 あみと言うんです、と名乗る前に。
 彼は、言われたくないほうの名前をよんでしまいました。
「…!おかあさん」
 違います。おかあさんじゃありません。アミです。アミ。
 なのに、私が訂正する前に、彼の中で決断は下されていたようです。
 彼は何度か口の中で確かめるように「おかあさん」と繰り返すと、
「じゃあ、俺は君の息子なんだね。拾われっこの」となぜかうれしそうに言いました。
 
 ――ワタクシ、丘 亜三(おか あみ)15歳に、自分より3つ年上の『息子』がその日できました。

+ + +

 それから、彼は数日に一度は顔をだして私の家でご飯を食べていくようになりました。
 何故、ときかれても困ります。
 なんとなく、そんな流れになってしまったのです。
 人懐こい笑顔の彼に絆されてしまったからでしょう。
 懐かれて正直悪い気分はしません。どころか、徐々に私は彼に惹かれはじめました。


 ――けれども。
 彼は、相変わらずあの日からずっと私を「おかあさん」と呼ぶのです。
 お母さん。
 対象外の響きです。
 彼は私より年上なのに、私のことはお母さんと、そう思っているのです。

 好きな人にはその名前で呼ばれたくなかったのですが、贅沢な願いでしょうか。
 私は今日こそ、アミと、それがダメでもせめて丘と呼んでくれないかと切り出そうとします。
 けれども、、彼が嬉しそうに「おかあさん」と呟くのを目にすると決意が折れてしまいます。
そうして、結局失敗を繰り返すのでした。

私がアミと呼ばれる日はくるのでしょうか?それは今のところ、当分先のことになりそうです。


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