――雨がざあざあと煩かった。
「そろそろかしらね?」
私は広げていた本をぱたんと閉じた。
時計を見れば夕刻6時をさしている。頃合だ。
あの子は今日はバイトが無いはずで、しかもこの天気だ。間違いなくもうじきここに来るだろう。
私は立ち上がって本をラックにしまった。
その足でキッチンへ向かう。
電気ケトルにお水を入れてスイッチを押した。
短時間で必要量のお湯が簡単に沸かせる電気ケトルは重宝している。
そう、特にこんな日にはちょうどいい。
コポコポと沸きあがる水の音は、外で憂鬱な音を立てる雨とは対照的になんだか楽しげだ。
ガチャリ、と鍵が回る音が聞こえた。
キッチンは玄関からそう離れてはいない。重たげな足取りで廊下を歩く音が耳に入った。
「おかえり」
私はカップを手に振り返る。
仏頂面の従弟が目に入った。
「で、どっちがいい?コーヒーと紅茶と緑茶」
彼専用のマグカップをかざしてみせる。緑茶の場合はこれをしまって湯飲み茶碗を出しなおさなければならないが、まあいい。
「・・・・・・選択肢が三つある時点でどっちっていうのか?」
彼は軽く眉を寄せて訝しげな表情を作って見せた。
「言う言う。私がそう決めたから」
「・・・・・・そうか。じゃあ、ほうじ茶」
「私が言ったものとぜんぜん違うものを選んでいるじゃない」
「どっちはどっちでも、どっちもどっちってやつだな」
そういうと、従弟――栄は小さく笑った。
「つまらないわよ、それ」
「いいんだ、別に笑わせるためにいったんじゃないから。どうせ、ほうじ茶あるんだろ?」
「私のとっておきのがね。ほうじ茶の癖に結構高いのよ?」
「知ってる。一緒に買いに行ったから」
「・・・・・・そういえば、あんたも一緒だったっけ」
仕方ないなあ。
私は苦笑しながらも、戸棚の奥に隠すように入れておいた茶筒を引っ張り出した。
「その代わり、お茶菓子は唯の豆煎餅だからね」
「いいよ、それで」
熱いお茶を急須に注ぎいれ、茶葉が開くのを待って交互に茶碗に注いだ。
彼専用マグカップは使われること無く、そのまま食器棚に再び仕舞われて、次の使用を待っている。
「熱いから気をつけてね」
とん、と栄の目の前に湯飲みをおく。
「ああ・・・」
「相変わらずの猫舌?」
「・・・・・・うるさい」
少しすねた様に上目遣いでこちらをみる栄はちょっと可愛い。
整った容貌は普段は少し近寄りがたいような感じなのだが、そういった表情を見せると幼さが浮くせいだろうか。
もう、可愛いといえるような図体でもないのだけど。
私はくすりと笑って、彼の正面に腰を下ろした。
自分用の湯のみに手を伸ばす。少し熱いけれど、もうちょっと冷めたらちょうどいいくらいだ。
彼の適温範囲よりも私のほうが幅広い。猫舌でなくてよかった。
息を吹きかけて冷ますと、のどを潤す。
ああ、やっぱり落ち着く。紅茶よりもコーヒーよりも私は日本茶が好きだ。特にほうじ茶が。
「高いんだから、味わってよね?」
まだ熱いのだろう、じっと湯飲みをにらみつけていた栄に笑ってそう言った。
「わかってる」
お茶をすする音だけがダイニングを支配する。
今、この家には私と栄の二人きりだけで、会話も無いと殊のほか音が響いた。
「これを飲み終わったら・・・・・・」
「ん?」
なあに?私が首をかしげると、栄は漸く冷めて飲み頃になったらしいお茶を手に取った。
「ぎゅってして」
彼は口にするには少し不似合いなほどかわいらしい台詞を吐いた。
騒々しいほどの大雨の日。
こんな日はいつも栄は甘えに来る。
何年たっても傷は深いままなのか、とその度に思う。
冷たい大粒の雨水は、彼の涙の代わりのようだ。
嵐の日は、彼の苦い思い出を未だ刺激してくるらしい。
自分は人を簡単に切り捨てるくせに、自分は捨てられることにおびえる子供。
不安を解消したくて、彼はこうして私に縋ってくる。
不思議なことに、これは彼女がいても彼女がいなくても変らない行事だ。
自分を捨てないで。そばにいて。
私はお母さんでも、彼女でもない。
彼女がいるのならば、いっそその子に甘えればいい。
なのに弱みを見せる気はないらしく、毎回彼はわざわざ家にきて孤独を埋める。
「――いいよ、後でね」
結局私も彼の願いに応えてしまう。
――こうして甘えるのは私だけだと知っているからこそ。
流石に彼女がいるときこそ、抱きしめる以上のことをしてやる気は無いが、抱きしめるだけならと。
彼を突き放せず温もりを与えてやる。
安心したように体を預ける仕草は本当に小さな子供のようだ。
「―――・・・・・・・。」
耳元で何か囁くような声が聞こえた気がして、聞き返した。
「ん、なんか言った?」
「なんにも言ってないよ、香乃姉(こうのねえ)」
「――そう」
気のせいか。
少し肌寒いくらいの今日は、栄の熱も心地よい。
このままだと眠ってしまいそうなほどだった。
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